2016年1月19日火曜日

2015年 最近のDSDブームとか、DSD256 高音質アルバムとか(前半)

前回、2015年に発売されたクラシックのCDやハイレゾPCMの高音質盤などについて紹介しました。今回は、DSD256などを含めて、最近流行りのDSDについて振り返ってみようと思います。

商業的DSD録音ももうすぐ二十周年。DSDデータからLPレコードを作っているレーベルだってあります

2015年になって、多くのUSB DACやポータブルDAPなどが「DSD対応」および「ネイティブDSD再生」を掲げており、セールス的に重要なキーワードとされています。

また、DSDにおいても、いわゆる従来のスーパーオーディオCD(SACD)から使われているDSD64(2.8MHz)よりもサンプルレートが高い、二倍速のDSD128(5.6MHz)や、四倍速のDSD256(11.2MHz)といった、とんでもないフォーマットに対応する機器が増えてきました。

家庭用USB DACがこういった高速サンプルレートに対応することは、メーカーの技術力の高さを披露できるため有用ですが(逆に言うと、そうでもしないかぎり目立つ手段が少ない、とも言えます)、来年以降は、どのメーカーもこのような現実離れした高レートにすべて対応できることが当たり前になってくるのでは、と思います。

しかし、それと同時に、「DSDが流行ってても、誰もDSD録音のアルバムを持ってないよ」なんて、笑い話のように扱われています。事実、日本国内ではソニーのMoraを筆頭にDSD音源を販売しているサイトはチラホラとありますが、価格設定がPCMよりも割高ですし、アルバムの絶対数が少ないです。

というわけで今回は、実際に購入して音質が良かったDSDアルバムや、販売サイトについて紹介しようと思います。

クラシックの録音作業

広く知られていることですが、DSDというのは、ジャズやクラシックのコンサート、そして古いアナログ録音テープのデジタル化など、「一発録り」で力を発揮するフォーマットだと言われています。一度録音したDSDデータは編集が面倒なため(というか、編集するたびに劣化が防げないため)、後日色々な録音テイクを重ねて切り貼りするようなスタジオ・アルバムではハイレゾPCMのほうが有利です。

クラシック録音であっても、たとえばオーケストラのスタジオ録音の場合は、各楽器セクションごとに独立した無数のマイクを設置し、それぞれ別々に(48トラックとかで)デジタル録音したうえで、後日パソコン上で各セクションの音色や音量を調整しながら切り貼りする、という手法が一般的でした。

クラシックで有名なアビィ・ロード・スタジオの風景

写真のように、スタジオ録音では無数のマイクが右往左往に配置されており、録音エンジニアはそれぞれのバランス調整に追われます。(ちなみに写真で見えるのは、B&W、ジェネレック、ヤマハという典型的なスタジオモニタースピーカー三点セットですね)。

「ここはトランペットが目立つべき場面だから、ちょっとトランペットのトラックだけ音量を上げよう」、とか、「ここはヴァイオリンが歌手に被っちゃうから、ちょっと抑えよう」、みたいに、録音プロデューサーとエンジニアというのは、音質だけではなく、楽曲の流れや内容もしっかりと把握して、音楽性を高める技術が要求されます。当時のスタジオのスナップ写真などを見ると、楽譜を手に持ったプロデューサーが、指揮者と一緒に、今録ったパッセージのサウンドチェックをしている、なんて風景がよくあります。

映画監督が感動のワンシーンにこだわるように、音楽でも、たった1分のパッセージを上手く演奏するために、2時間も3時間も繰り返して撮り直すなんていう「つぎはぎ」は当たり前だったので、録音セッションが終わった後の編集作業も、1時間のアルバムのために100時間も費やすなんてことがあたりまえな世界でした。

著名演奏家のヴァイオリン交響曲といった感動的名演でも、実はオーケストラとヴァイオリニストのソロ演奏が別々のスタジオで日を分けて録音されていた、なんてことも、稀ですが実際に行われています。これはロックやポップでは当たり前の、いわゆるカラオケ手法です。

そのように個別に録音しておけば、後で編集時に、たった一音でも気に入らない音色(もしくは弾き間違い)があれば、そこだけを手直しする作業が容易です。歳をとって高音が出せなくなってきた大御所オペラ歌手のために、曲の高音箇所だけ別の歌手の声とすげ替えていた、なんて有名な話もあります。すべては、潤沢な予算による、手間をかけた多重録音と地道な編集作業の賜物です。

最近では、クラシックレコードにかぎらず音楽業界が予算難で、どのスタジオも、どんなに高性能な多重録音設備がそろっていても、何十回も録り直して編集する作業は人件費コストがかかりすぎるため、できるだけ最短ルートでアルバムという商品を仕上げたいと考えています。オーケストラメンバーは労働組合で決められた時給や残業代制度だったので、録り直しでスタジオに拘束するだけお金がかかります。

また、音楽ファンからも、「編集を重ねたスタジオ録音は完璧すぎて違和感があり、実際のライブ・コンサート体験とは全然違う」なんて不満を言われるようになってきました。

だったら、ライブ・コンサートの生演奏をそのまま高音質で録音して売ったほうが、後日編集する手間は省けるし、さらに「一世一代、渾身のライブ熱演!」なんてジャケットのオビに書いておけば、多少の演奏ミスや聴衆ノイズなんかも文句は出ないだろう、という考えが最近では一般的になっています。80年代には大手レーベルの新譜はスタジオ録音が9割、ライブ録音が1割ぐらいでしたが、近頃はそれが逆転しているようです。

大抵クラシックのコンサートというのは、同じ演目を一週間にわたり3、4回繰り返して公演することが一般的なので、最近のアルバムでは、とりあえず毎日レコーダーを回しておいて、楽章ごとに良かった日の演奏を切り貼りして、一枚のアルバムに仕上げることが多いです(肝心なところで観客が咳をしたせいで、作品全体がボツになったらもったいないです)。そういった簡単な編集作業であれば、DSDであってもさほど難しくはありません。

そうなってくると、コンサート会場にある録音用マイクは、会場のアナログミキサーで事前にバランス調整しておいて、そこからステレオとサラウンド用の完成トラックをDSDレコーダーで記録するだけで、作業がほぼ終了します。あとは、ジャケット写真とライナーノートを書いて、SACDを作るか、またはDSD配信サイトでダウンロード販売するのみです。

なぜDSDなのか

DSDについての話題になると、いつも議論がヒートアップするのは、「なぜハイレゾPCMではなくて、わざわざDSDを使うのか」、という疑問です。

結論から言うと、これは「当時はそれがベストだった」としか言いようがありません。また、オーディオマニアとは違い、録音機材は信頼性を優先するので、10年20年と同じものを使っているスタジオが多いです。

1999年頃に遡ってみると、CDを超える高音質ということで、ソニー・フィリップス陣営のDSD(SACD)と、パナソニック、ビクターなどがプッシュしていたハイレゾPCM(DVD Audio)のフォーマット戦争がありました。

未だに、たまに処分品で見かけるDVD Audio

今となっては、ハイレゾPCMを採用しているDVD Audioの方が正解なように思えますが、当時はなかなか音楽業界から協賛が得られず、マーケティング的にSACDに敗北しました。

実際、「CDを超える高音質」というのは建前上で、メディア業界の真意は、パソコンとCD-Rドライブの普及でコピーし放題になってしまったCDに代わる、新たな「コピープロテクト内蔵フォーマット」の模索という側面があります。当時は海賊版の氾濫で、コピーコントロールCDやデジタル著作権管理(DRM)なんかに躍起になっていた時代なので、パソコンのDVDドライブに入れるだけで手軽にマスタークオリティのハイレゾPCMがコピーできてしまうDVD Audioは、CDの二の舞いになる恐れがあり、業界的にも危機感があったと思います。

結果的にSACDが次世代メディアとして普及することになり、古くから「高音質盤」に敏感なクラシック愛聴者には、超高解像で、なおかつサラウンドも楽しめるSACDというのは願ったり叶ったりのフォーマットとして定着しています。

DSDの到来

DSDとPCMの音質差について比較するためにも、DSD方式デビュー当時の事情を振り返ってみようと思います。

CDというのは、44.1kHz 16bit PCMで記録されているわけですが、ではなぜ2.8MHz 1bit DSDは生まれたのでしょうか。

今考えてみると、音質理論はともかくとして、我々リスナーの立場から見ると、商業的な意味でDSDが定着するための一番大きな転換点は、1991年に登場したオランダ フィリップス社のD/Aコンバーター(DAC)チップ「SAA7350」シリーズだったように思えます。

フィリップスSAA7350

その当時、CDの爆発的普及とは裏腹に、純粋な16ビットPCM DACというのは限界が来ており、完璧を追求するするほどコストが上がってしまうという泥沼状態でした。16ビットのために16個の抵抗スイッチをDACチップ内に埋め込んであり、一つ一つの抵抗値がぴったり正確でないといけません。

DACチップ製造時には、16個の薄い銅膜抵抗をレーザーで細かく削り取る作業などが行われており、ほんの数ミクロン以下の削り誤差でも16ビット相当の精度が得られない、厳しい作業です。

当時オーディオマニアに大人気だった16ビットDACチップのフィリップスTDA1541Aや、バーブラウンPCM56は、変換精度にバラつきがあるため、チップを量産したあとに一枚一枚が測定され、精度が高いものは高ランク品のスタンプを押して高価で販売、精度が悪いものは低ランク品として安価で販売、といった手間のかかる作業が行われていました。

オーディオメーカーは、高級CDプレイヤーには高ランク品のDACを搭載するということが一種のステータスであり、たとえばフィリップスTDA1541Aであればチップ表面に王冠(クラウン)マークが、さらに最高クラスであれば王冠が2つ(ダブルクラウン)が刻印されており、ライバルのバーブラウンも最高品が「Kランク」、その下に「J」「無印」「L」などのグレード選別がありました。

フィリップスTDA1541のダブルクラウン

バーブラウンPCM56のKランク

チップ単体の値段も、「Kランク」と「無印ランク」では10倍以上の差があり、さらに弱小メーカーでは入手することすら困難なプレミアムDACチップでした。(誰かが王冠マークを偽造した、偽物のチップなんかが今でもeBayなどで売られています)。たとえば歪み(THD)スペックは「Kランク」は-92dB、「無印」で-82dBといった感じなので、CDの16ビットの論理的ダイナミックレンジが96dBと言われている中、ほぼギリギリの領域で頑張っていたような感じです。

ランクごとに保証スペックが異なります

SAA7350とビットストリーム

そんな中で登場したのがフィリップスのSAA7350系DACチップですが、このチップは16bit PCMデータを高速1ビット変換する回路を採用したので、これまでのような16個の抵抗をレーザーで削り取る工程が不要になりました。1ビットなので、アナログ変換回路は単純に、高速に動くスイッチを1個搭載するだけです。フィリップスは当時これを「ビットストリーム方式」と呼んでいました。

つまり、これまでの16ビットDACでは、16個の蛇口を同時に何個開閉するかで、水の量を決めていたのですが、1ビットDACでは、1個の蛇口を高速に何回開閉するかで水の量を決めます。蛇口のサイズや水圧を、16個全部が設計通りになるよう工場で丁寧に調整するよりも、たった1個の蛇口を高速で動かすほうが、低コストで手軽に高精度が得られます。

SAA7350は、ランク分けや選別品などを考慮せずとも、標準品で歪み(THD)スペックが-96dBという驚異的なスペックが得られ、さらに重要なのは、これまでの16ビットDACの高級品が一枚2,000円くらいしていたところ、SAA7350はたったの300円程度で購入できました。つまり、高価な16ビットDACに固執しているハイエンドCDプレイヤーよりも、SAA7350を搭載した安価なCDプレイヤーのほうが「スペック上は」高性能になってしまう逆転現象が発生していました。当時16ビットDACのハイエンド機は、歪み率を下げるために、DACチップを一枚だけではなく複数枚を並列で搭載したりなど、コストの肥大化が起こっており、まさに泥沼状態です。

また、DAC周辺の回路も、16ビットDACの場合はスイッチ電流を安定させるため幾つもの高級コンデンサなどを搭載する必要があり、同じDACチップを使っていても、周辺部品コストのかけ方で明らかに音質スペックが変わってしまうのですが、SAA7350は高精度水晶クロックにさえ注意すれば、残りの回路は比較的影響が少なく、低コストで済みます。「DACのクロックジッターが」、という話題はこの頃から流行りだしました。

その当時でも、現在のハイレゾPCM v.s. DSDの争いと同じように、オーディオマニアのあいだでPCM系と1bit系CDプレイヤーの音質のバトルが繰り広げられていました。ただし、御存知の通りオーディオ機器の音質というのは、DACチップのスペックだけで決まるものではなく、電源の安定度やアナログ回路の性能など、他の要素がたくさんあるため、戦艦のごとく巨大に進化を遂げていたPCM系CDプレイヤーと、鳴り物入りの軽快1bit系プレイヤーでは、さすがにトータル面での音質に格差がありました。

フィリップスのSAA7350系DAC以外では、同時期にソニーはPULSE DACという名前で1bitを採用していましたし、同様にパナソニックMASHというのもありました。どれも優れたチップですが、多方面で普及したのはフィリップスのみです。

16bit系最大手のバーブラウンも、この時期にPCM54の後継機でPCM69などの完全1bit型DACチップを発売しています。つまり、ほぼ全てのDACメーカーが少なからず1bit型のメリットを認めていたのでしょう。

なぜフィリップスSAA7350が重要だったかというと、理由が2つあります。まず、このチップは安価でバルク販売されていたため、フィリップスに限らず、多くのオーディオメーカーで採用されました。安くで高性能だったのですから、当然です。

もう一つ、今回DSDの話でSAA7350が重要な理由は、1bitデータのデジタル出力が搭載されていたことです。

1bit専用DAC TDA1547

SAA7350は確かに良いDACチップだったのですが、当初から「安価に大量生産すること」が最重要課題だったため、高級ハイエンドオーディオ向けには、さらなる音質向上が実現可能だと考えました。

そのために、フィリップスはSAA7350の上位版チップを発売するのではなく、SAA7350から高速1bitデータを出力して、それを別の高性能チップでアナログ変換するという手法を選びました。そのアナログ変換チップがTDA1547です。

フィリップスTDA1547

TDA1547は、PCMは扱えない「1bitデータ専用」のDACチップで、正確無比な電流スイッチにより、歪み(THD)は-101dB、S/N比は111dBと、SAA7350単独より飛躍的に高性能になっています。ようやく一般的なコンシューマ機のDACチップが、安定してCDの44.1kHz 16bitを凌駕する時代になってきたということです。

その当時、1bitデータを送受信することは一般的ではなかったため、SAA7350とTDA1547のペアはセットで使われることが想定されていました。このセットは「DAC7」という愛称で、当時の高級CDプレイヤーに幅広く採用されていました。私自身もこれまで大小様々なCDプレーヤーを所有してきましたが、未だに一番音質に魅力を感じるのは、この当時のDAC7搭載システムです。

また、CDから44.1kHz PCMデータをSAA7350に送る前段階で「8倍オーバーサンプリング」をすることも可能だったので(つまり44.1 × 8 = 352.8kHz)、当時ポピュラーだった日本プレシジョン・サーキッツ社(現在のセイコーNPC)SM5803のようなオーバーサンプリングチップをあわせることも一般的でした。

1991年当時のフィリップスCDプレイヤーDAC構成

つまり、この当時のフィリップス系CDプレイヤーに搭載されているDACを見ると、餅は餅屋といった感じで、「CDのPCM 44.1kHzをまず352.8kHzにオーバーサンプルするチップ」→「PCM 352.8kHzを高速1bitに変換するチップ」→「1bitをアナログに変換するチップ」という3つがセットになっていました。

周波数に関しては、フィリップスの場合44.1kHz × 8 × 24 = 8.47MHz 1bitというのが上限だったようですが、実際の1bit周波数はCDプレイヤーごとに千差万別です。

1995年当時のフィリップスCDプレイヤーDAC構成

1995年ごろには、最初の2ステップ(つまりオーバーサンプルチップと1bit変換チップ)を合体させた、TDA1307というチップが開発され、より一層、CDの1bit変換が合理化されました。

SACDプレイヤーとDSD

このフィリップス系DACの構成を見ると、90年代初頭にすでに「352.8kHz PCM」と、「高速1bit(つまりDSD)」という2つのデータ形式が、CDプレイヤーの中でリアルタイムに扱われていたことがわかります。これはデジタル録音で使われるA/Dコンバータでも同様で、「それじゃあわざわざCDの44.1kHz 16bitに固執せず、中間フォーマットの段階で録音・保存・再生したほうが高音質だろう」、という考えになります。

この流れで、ソニー・フィリップスが提案したSACDという記録メディアに「2.8MHz 1bit」が採用されたのは自然だと思います。フィリップスの立場としては、2.8MHz 1bitの録音であれば、そのままTDA1547チップ一つで高音質アナログ変換できる手軽さは大きなメリットです。

あえてTDA1547が変換可能な最高速度の8.47MHz(DSD192)を選ばずに2.8MHz(DSD64)にしたのは、サラウンド録音も含めて、SACDディスク一枚の容量限界(約4GB)によるものでしょう。

マランツSA-1

実際に、SACDデビュー時に登場したマランツ(フィリップス)のSA-1というプレイヤーは、CDのPCMデータはTDA1307を通ってDSD化、SACDのDSDデータはそのままTDA1547チップに直接入力されるという、単純明快な回路になっています。これぞまさしく、フィリップスが考案した高音質への最短ルートです。

マランツSA-1では、CDデータはTDA1307でDSD化、SACDは直接TDA1547に送られる

余談ですが、オランダのフィリップスと、日本のマランツという二社はCD初期の頃からと密接な関係にありました。CDを読み取るレーザーや、DACチップの開発製造が専門のフィリップス社ですが、完成品としてのCDプレイヤーについては、オーディオメーカーとして実績のあるマランツに委託しており、多くのモデルでは欧州ではフィリップス、日本や米国ではマランツ名義で販売していました。

後日談になりますが、DSDとSACDという新フォーマットを無事に発足できたフィリップス社ですが、バブル経済も終わり、パソコンブームやMP3、iPodの到来など、高級オーディオに暗雲が立ち込めてきた様子を早急に感知して(今思えば、懸命な判断ですね)経営判断で翌年オーディオ部門が解体、DACチップなどの開発製造も終焉を迎えました。SACD登場時に、もうすでに音楽業界の行先が暗かったみたいですね。

マランツはフィリップスのDACチップにばかりこだわっていた訳ではないので、フィリップス解体後はセイコーNPCやバーブラウン、そして多くのフィリップス技術者が移転したシーラス・ロジックの新開発DAC「CS4397」などを同時期に採用しています。

1bit当時のソニー

一方、DSDのもう一人の立役者であるソニーは、フィリップスとは一味違った1bit方式で、PULSE DACというのをほぼ同時期に採用しています。たしか1990年のCXD2552チップ(CDP-X777ESに搭載)くらいからだと思います。

ソニーの1bit PULSE DAC

オーバーサンプル後に1bit化するのはフィリップスと同様

手法はフィリップスと同様に、まずオーバーサンプルチップで44.1kHzを352.8kHzにオーバーサンプルした上で、CXD2552チップで1bitパルス化するのですが、フィリップスの場合はPDM(パルス密度)ですが、ソニーはPLM(パルス長)で振幅を表しています。

4年後の1994年には、CXD2552から出力された電圧パルスを後続チップで強力なアナログ電流パルスに変換する、橋渡し的な「カレントパルスDAC」という仕組みを導入しています。

カレントパルスDACでは、電流アンプチップが追加されました

この「カレントパルスDAC」というギミックは、デビュー当時はいまいちメリットがわからなかったのですが、今となって考えてみると、ソニーがやろうとしていたことは「1bitパルスの直接増幅」という構想だったように思えます。

つまりソニーにとって1bitとは単なるデジタルデータフォーマットではなく、「デジタルをアナログとして扱う」中性的な存在であって、DSDが「アナログ的」だと言われていることの最大の実証なのかもしれません。

以降ソニーのAVアンプやハイレゾウォークマンで度々使われるようになる「S-MASTER」アンプも、原理的にはカレントパルスDACと同じで、デジタルデータをまずPLM電圧パルス化して、強力な電流スイッチでそのままスピーカーやヘッドホンを駆動する、という構成に進化しています。そういった部分にソニーの伝統を感じます。

S-Masterアンプ内蔵のハイレゾウォークマン

S-MasterアンプはカレントパルスDACとほぼ同じ概念です

大小多くのオーディオメーカーにDACチップを供給していたフィリップスと異なり、ソニーのDACチップはほぼ自社製CDプレイヤー用に限定されていたため、未だに性能面で謎に包まれている部分が多いです。

ソニーSCD-1

第二世代の傑作SCD-XA9000ESでは、DSD対応DAC機能を全てワンチップ化しています

SACDの到来を前後に、ソニーもフィリップス同様、専用DACチップの開発を終了してしまいました。ソニーSACDプレイヤー初号機のSCD-1は、ソニー製CXD8594DACチップを搭載していましたが、第三世代のSCD-XA5400ESからはマランツ同様バーブラウンのDSD1796などを搭載するようになりました。私自身も両世代を所有していましたが、この転換時に音質がガラッと変わったように感じます。

2.8MHz 1bitのDSD方式は、1999年当時では、それまでのCD用1bit DACで実証済みの高音質技術だったのですが、それ以降、バーブラウンやシーラス・ロジックなどDACチップメーカー各社がさらに高速な128倍、256倍オーバーサンプル、しかも1bitではなく4bitや5bitなどといった内部演算を導入しはじめたため、結果的にSACDに採用された2.8MHz 1bit DSDというのは、「過渡期に生まれた中途半端に高音質なフォーマット」という扱いになってしまいました。

たとえば、SACDデビュー直後、2003年頃からバーブラウンが現在まで採用しているアドバンスド・カレントセグメント方式のように、24bitデータの上位6ビットは純粋な抵抗変換、下位18ビットは高速5bitデルタシグマ変調というふうに、PCM・1bit DAC両者の良いところ取りをしています。

バーブラウンPCM1792などでおなじみのアドバンスド・カレントセグメント方式

結局、記録フォーマットはなんであれ、最近のD/A変換処理はDSD・PCM両者のちょうど中間をとっているというのが面白いです。つまり、PCMとDSDの論議は、音質以前に、15年前の技術限界と、歴史的進化の背景があるということです。

実際に人間の可聴範囲かどうか、という論議を抜きにすれば、サンプルレートやダイナミックレンジなどの「数値スペック」は、デジカメの「メガピクセル」のように、需要があるうちは進歩が止まらないという側面があるため、どこまでが「必要十分」なのかという考えは、するだけ無駄なあがきというものです。

DSD64の問題

DSDを考える上で考慮する必要があるのは、SACDで使われていたDSD64(2.8MHz 1bit)というフォーマットは、「言うほどそこまでハイレゾじゃない」という事実です。

ハイレゾダウンロードショップなどでは、DSDのアルバムはPCM 192kHzよりも割高の価格設定になっていることが多いですが、実際は「スペック上」そこまで高性能ではありません。(音質が悪いという意味ではありません)。

DSD64は原理的にノイズシェーピングという手法由来の高周波ノイズが30kHz前後から発生するため、再生時にアナログフィルタでこれをカットする必要があります。

SACDのアルバムを見ると、30kHz以上はノイズてんこ盛りです

ノイズシェーピングを行わなければ高周波ノイズは発生しないのですが、逆に可聴帯域でのノイズフロアが上昇します(ダイナミックレンジがCDより悪くなります)。

つまり、DSD64の高周波帯域というのは、「人間の耳に聴こえない楽器の超音波を再生する」ような、一部ハイレゾ信者が主張している理論ではなく、ノイズシェーピングで可聴帯域ノイズを追いやるための、一種のゴミ箱、格納スペースです。

当時、多分ソニーなどのSACD広報担当者(とくに音楽に興味が無い)が、「DSDって何キロヘルツまで再生できるの?」と尋ねたところ、技術者が「原理的には100kHzまで記録できます。でもノイズシェーピングという技術を使っており、つまり・・で・・ということで・・・ようするに・・・」といった感じの会話をして、結局SACDのパンフレットに、「100kHzまで再生できる、夢の高音質フォーマット、それがDSDだ!」みたいに書かれてしまうのだと思います。なんかハイレゾブームとまるで一緒ですね。

こういう誤解を招くパンフレットがよくありました

繰り返しますが、DSD方式のメリットは「デジタルデータの直接アナログ変換」というシンプルさであって、可聴帯域外の高周波を再生するという意図はそもそもありませんでした。

現実的には、多くのSACDプレイヤーやDSD対応DACは、安全を考えて24kHzくらいから上をカットする回路を組んでいます。つまり高周波再生という意味では48kHz PCMとさほど変わりません。ほかにも30kHzのフィルタもありますし、マランツなんかは50kHzを使うことが多いです。

たとえば、マランツのSACDプレイヤーSA8400などは、背面にフィルタON/OFFのスイッチが付いており、通常はONにしておけば50kHz以上のノイズはカットしてくれますが、任意でOFFにできるようになっています。

マランツのSACDプレイヤーについていた、フィルターOFFスイッチ

たぶんオーディオマニア評論家先生が「DSDは100kHzまで再生できると書いてあるのに、高周波をカットするフィルタなんて、けしからん!」などと文句を言ったのかと想像できます。無論ノイズシェーピングで発生したノイズが流れ出ても、音楽とは無関係のノイズです。ヒーリング効果などの効能があるのかもしれません。

人間の耳では聴こえないのなら、別にフィルタしないで、出しっぱなしでも良いんじゃないか、なんて思う人もいるかもしれませんが、それが危険です。人間には聴こえない高周波でも、入力されたアンプやスピーカーはちゃんと再生しようと頑張ります。

昨年ソニーのミニコンポで、高周波ノイズのせいでスピーカーが故障するというリコール問題がありました。多くのアンプは、送られてきた高周波ノイズが悪さをしないように、安全のため高周波カット用フィルタが搭載されています。しかし、オーディオマニアというのは、大抵余計なフィルタや保護回路を嫌うので、高級なハイエンドアンプほど、こういった予防対策が無かったりします。つまり、膨大な高周波ノイズをアンプが何倍にも増幅して、スピーカーが焼き切れるなんてことが起こります。

また、自社製のDACとアンプを開発しているメーカーでは、「我が社のDACには高周波フィルタが搭載されてるから、それならペアで販売しているアンプにフィルタは不要だろう」なんて甘い考えで十分な検証を怠っていたため、いざアンプに高周波を入力したら、暴走して無限に増幅してしまう、なんて回路設計もありました。実際イギリスの某メーカーで、他社製SACDプレーヤーと接続したら高周波でアンプが黒焦げになる事件がありました。

DSD64の一番やっかいなところは、このような高周波ノイズの開始点や、残留ノイズ(いわゆるノイズフロア)が、DSDレコーダの世代や性能によって結構変わるということです。とくに、古いDSDコンバータではその傾向が強く、たとえばRCA Living StereoのDSDリマスターなどは、結構ゆるいシェーピングですが、音質はとても良好です。(ノイズフロアなんて言っても、1950年代テープ録音のリマスターですし・・・)。

初期SACDは、可聴帯域の残留ノイズフロアが高いのが多い

後半へ続く

2015年のDSD高音質盤を紹介するはずが、ちょっと前置きが長くなってしまったので、後半はべつのページに移動します